設立趣旨

訓(いましめ)

松尾育英会 設立趣旨

松尾國三

財団法人松尾育英会の設立は、かねてのわたくしの念願であります。

そこで、わが国における一般の優秀な学生であって、経済的理由のため進学できない事情にある者に対し、その修学上必要な一切の経費を給付し、将来社会国家のために、貢献する有為なる人材の育成につとめ、もっていささかなりとも、国連の興隆に寄与したいと思い、ここにその許可を願い出たものであります。

これを発起するにいたったわたくしは、佐賀県西松浦郡桃川村の農家に、4人兄弟の三男として生まれ、10歳にして父を失いました。母は一家の生計を立てるために、近在のお百姓を相手に駄菓子の行商をしておりました。わたくしは、そのいたいたしい母の姿を子供ながらに見るに忍びず、小学校3年終了とともに心に孝養を誓い、志を立てて故郷を後にした。そして大海に木の葉のたとえの通り他郷を旅し、独立独歩、臥薪嘗胆、努力につぐ努力を重ね、身をもって艱難辛苦に耐え、ようやくにして今日の地位を築き得たのであります。

時代の流れとは申せ、終戦以来人道地におち、国連また衰微し、こと最近青年層の一部には、「太陽族」などと世の批判を受けている者があります。全部が決してこの種の若者のみではありますまい。必ずやより多くの有為な若者たちが、日夜勉学に苦斗邁進しているものと信じます。しかし、人生は多事多難であり、その人材が、優秀で将来社会国家に貢献するりっぱな素質がありながら、経済的に困難という理由により、心ならずも進学をさえぎられ、あたら英才を埋もれしめている実例は極めて多いものと思います。これは、個人にとっても社会国家にとっても、また人間世界にとっても重大な損失であると思います。

国家興隆の源は、次代を背負う青少年の双肩にあり、若い世代の教育こそ、社会国家にとっても重大な問題として浮かんできます。官民一致これらの青少年層の教育の向上につとめてこそ、世界人類の希望する真の平和を築くこともできるものと確信いたしております。

わたくしの今日あるは、わたくし個人の努力のみにあらず、今は亡き父母の恩、そして社会の恩、また背後には国家という偉大なる力があったればこそと深く感謝し、ここに微財を投じ、その萬分の一の報恩を兼ねて経済的理由により世に埋もれんとする有為の人材の育成に、微力を傾けたいと決意したものであります。

設立に至る経緯

松尾波儔江

亡くなられる半月ほど前でした。副総裁の緒方竹虎さん(1888~1956年福岡市出身)が、ひょっこり見えた。銀座4丁目に私どもが経営していた中華料理の談話室「桃山」-。

「海外から引き揚げてきた青少年の教育をどうするか。優秀でも、家庭が貧しいために進学できない若者たちをどうするか。国も手が回らない。だれか温かい手を差し伸べてくれる人はいまいか。政治家は金がないしなあ」

主人も私も、聞き流していたところ突然の訃報(ふほう)です。五反田のご自宅にお悔やみに参りましたらコト夫人が言われた。

「主人が一番心を残していたのは教育問題です。“太陽族”をこのままはびこらせてはいけないと、言い続けて世を去りました」

帰りに、主人が独り言のようにつぶやきました。“あの時の緒方さんの話、ありゃ、遺言だ” “松尾さん、やってくれないか” というなぞかけだったのだ…。

私産の株券8000万円と現金2000万円、計1億円を基金に昭和32年1月、財団法人・松尾育英会を設立。この年の暮れには、今、東京都板橋区加賀1丁目にある鉄筋3階建ての学生寮(個室52)が完成しました。昨年4月入寮の29期生までに採用された育英生は166人。佐賀14人、長崎12人、福岡8人、山口6人…沖縄から北海道まで全国各ブロックに及んでいます。

主人も私も、学校を出ていないために、どれほど恥ずかしく悔しい思いをし、世に出るチャンスを逃したか。家庭が貧しいために進学できない秀才たちを全国から選抜し、大学を卒業させよう。子ども芝居の時から各地を渡り歩いてお世話になった社会への恩返しをどんな形でと、考え続けた結果、育英事業に思いを定めたのです。

なにしろ、この育英会は、大学卒業までの4年間(医系は6年間)、いっさいの学費を給付し、3度の食費も寮費も、無償です。卒業後の進路も自由で、松尾系の会社にお礼働きする必要もない、というのです。

「そんな、うま過ぎる話、長続きしません」と許可をしぶる文部省に、主人は申しました。

「きのうきょう考えたことではありません。この事業のためには、全財産を投げ出す。生命保険もつぎ込みます」

「そこまで言われるなら」

やっとOKが出たのです。

育英会を出た子どもたち(私と育英生は“子ども” “東京のお母さん” と呼び合っています)の就職先は、外務、大蔵、通産などの8省庁に国鉄、電電会社、三井、三菱、松下、日立の各社、富士、住友銀行、それに医師、弁護士さんと多士済々です。

一昨年、主人が亡くなりますと、子どもたちは全国から参集し、何かと私たち一家の後ろ盾になってくれました。松尾栄蔵弁護士(佐賀・小城高-中央大卒、たまたま同姓)など、アメリカ研修を打ち切って帰国、今も顧問弁護士並みの働きをしてくれています。

お金は、いつ無くなるかもしれませんが、人材は、時とともに大きく育ちます。主人はいいものを残してくれました

[西日本新聞「聞き書きシリーズ」 “女役者” 「166人の後ろ盾」 [1986年4月2日] より転載)]